兼六園。日本三大名園として岡山市の後楽園、水戸市の偕楽園と並ぶ称せられますが、数え切れないほど園内を歩き回ったせいか、四季に合わせて変化する美しさを今でもすぐに目に浮かぶほど最も好きな庭園です。
兼六園を500回以上も散策
なにしろ兼六園は通勤路でした。新聞社に入社して3年目、石川県金沢市に赴任し、3年間住みました。借家は兼六園の裏手にある町。昔は板前町と呼ばれていました。前田利家と一緒に金沢へ入城した板前さんの子孫が以来400年間住み続けている地域です。
通勤先は石川県庁の記者クラブ。当時、県庁は現在の金沢21世紀美術館の真向かいあたり。借家と県庁の真ん中にちょうど兼六園が挟まる位置でした。ですから、通勤の最短距離は兼六園を通過すること。経路で悩んでいたら、石川県が取材用として配布した証明書のなかに兼六園の通行証が含まれていました。記者の特権と批判されるかなと心配しましたが、毎日兼六園を取材すると考え直して、毎朝兼六園に通うことにしました。自宅を出たら目の前にそびえる崖に築かれた階段を登って兼六園の裏手に。園内を通過して県庁にたどり着くのが日課です。
地元紙の記者から「3年ぐらい住んで、何がわかるのか」と叱咤激励されたこともあって、本籍を移して腰を据えて生活しました。石川県、北陸をどこまで深く入り込んで理解したかどうか今でも自信はありませんが、兼六園の素晴らしさを肌で知ったことは金沢人には負けないつもりです。
兼六園の訪問を計算してみました。1年間を365日と換算すると3年間で1000日を超えます。出張や日祭日などで兼六園を訪れない日もありますが、話半分としても500日以上は兼六園を散策した計算です。春夏秋冬いずれも違う表情を見せてくれますが、真冬の夜に雪が降った後の早朝の美しさは言葉になりません。誰も踏み入れていない園内を歩くと、目の前は白と黒の墨絵。雪吊りの松、夕顔亭、霞ヶ池などが幽然と輝いています。
加賀百万石の象徴も新陳代謝が続く
兼六園は加賀百万石を体現する象徴です。住んでいたころ、ちょうど金沢市は前田利家入城400年で沸いていました。利家は1583年に入城しましたが、金沢に住んだのは1982年から85年まで。ちょうど400年を迎えたころです。加賀百万石の華やかな文化は加賀谷友禅、加賀宝生や九谷焼、大樋焼など多くの逸品・至芸を生み出しました。
兼六園は400年を過ぎても加賀百万石の文化と技術を伝える遺跡。そう思い込んでいました。しかし、これが全く見当違い。兼六園と親しくなって2年ぐらい過ぎた頃に気づきました。
兼六園は金沢を観光で訪れたら、かならず足を踏み入れ、記念撮影する名所です。コロナ禍前は石川県に訪れた700万人のうち300万人近くが兼六園に向かいます。国外の観光客も増え続け、40万人以上を数えます。有名な灯籠の前で写真を撮るため、順番待ちの列が出来上がるのは当たり前。園内には命名された名木がいくつもあり、雪吊りも含めて観光客が訪問前に抱くイメージそのままの風景が残されています。
樹形や風景は一見、同じでも実は変わっている
そう、思っていました。ところが一見して樹形は変わっていないのですが、実は樹々の寿命を見極めてきめ細やかな手入れが施されていることを知りました。枝などを切って樹形を整えるだけでなく、植え替えのために幼木を育て代替わりに備えています。観光客が少ない時期に大掛かりな樹木の移し替えもあります。
「みなさんが気づかないように新陳代謝しているのです」と公園担当者は笑っていました。兼六園は多数の樹木や花を抱えており、歳月とともに枯れ、樹形が悪くなります。樹々の様子を見ながら、若い木が代替わりして兼六園を400年前と同じ風景に守っているのです。それが庭師の腕の見せどころなのでしょう。気づかれないところに素晴らしさを遺す。伝統工芸の都、金沢らしい自負です。
兼六園の息遣いに気づく
この新陳代謝を知ってから、兼六園の息遣いを感じるようになりました。春から夏にかけての元気な息、秋には冬に備えて体調を整え、雪に覆われる冬はじっと息を潜め、春に向けて体力を温存する。時々、寒いので石川県のおいしい日本酒を飲んで、木の幹を温めているのもわかります。
新陳代謝を繰り返しながらも、庭園の風景や素晴らしさを守る。これが基本なんだと思っていたら、どうも違うようです。東京の公園や美しい街並みは、どんどん手を加えられ、風景が変わってしまいます。毎日、散歩している大きな自然公園でも、案内板やベンチが増え続け、週末になれば広い芝生にはテントが数え切れないほど張られます。カワセミが飛び交うバードサンクチャリーがある自然公園のはずなのに・・・。
東京の新陳代謝は破壊するだけ?
日本で初めて風致地区に選ばれた東京・神宮外苑前も大きく風景を変えるようです。東京は世界でも大都市の一つ。金沢は地方都市の一つ。この違いが公園、風景を守る施策でも変わるのでしょうか。東京には守るべき風景や文化がないのかな。そんなことはありません。あまりに多過ぎて、何を守って良いのかわからなくなっているだけ、と思っています。
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