北海道札幌市が「サッポロバレー」と呼ばれたことを知っていますか。米国西海岸のシリコンバレーから世界の最先端技術をリードする若い企業が数多く輩出されるバイタリティに憧れて、世界各地で「〇〇バレー」と呼ぶことが流行していたこともありますが、札幌市からも世界から注目される起業家と事業が相次いで誕生していたのは事実です。残念ながらシリコンバレーに迫ることはできませんでしたが、東京以外の地域で世界に翔び出す起業はできるのです。
北大のマイコン研が源流
サッポロバレーは1976年に北海道大学のマイコン研究会の設立がきっかけです。中心メンバーの村田利文さんらが翌年の1977年にソフトウエア開発のBUGを創業し、数多くの起業家を世に送る源流となりました。札幌市にテクノパークが整備され、北大と隣接する札幌駅の地域にはベンチャー企業が集まり、地形としての谷は全く見当たらないのですがサッポロバレーと呼ばれました。ゲームソフトのハドソン、インターネットを使った音声技術「VoIP」のソフトフロント、Mac向け年賀状ソフト「宛名職人」を開発したアジェンダなどそれぞれの分野で先頭を走る企業ばかりでした。
1990年代初めのバブル経済の崩壊でベンチャー投資に熱心だった北海道拓殖銀行が経営破綻した影響もあってサッポロバレーは起業の舞台が降りてしまいましたが、そのDNAが失われたわけではありません。
現在も初音ミクのクリプトンが世界に
ボーカロイド「初音ミク」を開発したクリプトン・フューチャー・メディアは1995年、伊藤博之さんが創業しました。初音ミクの活躍はご存知ですよね。2010年代にグーグルのCMで使われて全国的に知られ、世界の音楽アイドルとしてヒットしました。伊藤さんに勧められて初音ミクのコンサートに行ったことがあります。ステージの上でバーチャルビジョンの初音ミクが歌う姿にホールが一体となって沸き上がります。ミュージシャンがライブ演奏しているのですが、主役のアイドルは実像ではありません。でも存在しています。メタバースの先取りです。
萩生田光一経済産業相は2022年7月末、訪問中の米シリコンバレーで起業家や大企業の新規事業担当者ら1000人を5年計画で派遣することを明らかにしました。2015年、当時の安倍晋三首相がシリコンバレー訪問時に当地への人材派遣プロジェクトを表明しましたが、萩生田経産相は「安倍氏がまいた種にしっかり水をあげて芽を大きくしたい」と話し、「えりすぐりの挑戦者をシリコンバレーに派遣するプロジェクトを抜本的に拡充する」と意気込みを表しました。シリコンバレーに派遣された人材は1週間滞在して投資家らに事業化プランを説明して起業ネットワークを構築する狙いです。
シリコンバレーはスタンフォード大学、ヒューレット・パッカードを源流にアップル、グーグル、フェイスブック(現在のメタ)など数多くのベンチャーを輩出しています。学ぶべきことはかならずあります。といっても、シリコンバレーの空気を吸って人脈が広がったとしても、起業家の成否は自身の力とアイデアを信じる覚悟がなければスタートアップできません。
サッポロバレーの源流である村田利文さん、初音ミクを世に送り出した伊藤博之さんと何度もお会いする機会があります。共通しているのは、自分のアイデアと事業化に自信を持って挑む覚悟です。その成功はわざわざ米国西海岸を訪ねなくても、地元の北海道に居ながら起業できることを実証しています。伊藤さんは自分が事業化したいと考えた音源創りの延長線で初音ミクが生まれたと教えてくれました。村田さんも北大時代から変わらぬ好奇心とチャレンジ魂を忘れずに「今の自分ができることをやり、次の起業家を育てる手助けをしたい」と語っていました。
シリコンバレー詣でより日本の経営風土の改革が先決
国を背負うといった妙な気負いも見当たりませんでした。でも、次代と郷土のために自らやるべきことを考えています。日本のスタートアップを拡充するためにはまず日本の優れているところ、逆に不足しているところを一度振り返ることが先決ですそして、なぜサッポロバレーは1990年代で収斂してしまったのか。東京・渋谷ビットバレーは成功しているのか。
まずはススキノで飲み歩きましょう
確実に言えることはスタートアップをめざす起業家が育たない土壌が今の日本にあることです。米国製の起業が日本に根付くとは思えません。1000人を派遣する事業費を使って、日本の経営風土を再び耕す努力にお金を使いましょう。そのまえに、まずは札幌のススキノへ行って飲みましょう。あのカオスのような猥雑な街を歩き飲み歩けば、かならず酔いが覚める良いアイデアが目の前に現れます。シリコンバレーの中心地、パロアルトでは絶対に経験できませんから。
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