明治神宮外苑の再開発を巡る動きが活発です。有名ないちょう並木、明治天皇の功績を描いた絵画が展示される聖徳記念絵画館などを中心にした地域は、すぐそばに国立競技場、ラグビー場、野球場、さらに東京・青山という華やかな街並みが近いこともあっていつも多くの人で賑わっています。
坂本龍一さんの手紙を機に高まる見直しの声
それだけに再開発は多くの論議を呼んでいます。いちょう並木などは保存される計画で、競技施設などの再配置で人々が回遊する空間、地域は増えるのですが、多数の樹々が伐採されるほか、現在の景観が大きく変わるため、計画見直しの声は高まる一方です。坂本龍一さんが亡くなる1ヶ月前に東京都の小池百合子知事らに手紙を送ったことも大きな話題となり、工事開始に抗議するイベントも開催されました。
東京都知事に耳を傾ける姿勢はない
事業主体は明治神宮、日本スポーツ振興センター、三井不動産、伊藤忠商事の4者。2023年3月に着工しました。東京都の小池知事は、三井不動産の社長らに再開発計画の見直しを求める人々に対し丁寧に説明するよう直接面会したり記者会見などで要請していますが、もともとは再開発推進の立場ですから坂本さんら見直しを求める声に耳を傾ける姿勢は感じられません。
三井不動産なども東京都知事から2回要請を受けてもスルーしているほどですから、新たな施策を講じる気配がなく、このまま工事が進む公算が大きいと考えるべきでしょう。
東京の都市再開発は無価値をいかに高めるか
せっかくの機会なので東京の都市再開発とは何かを考えてみました。明治まで遡れば、日本を代表するオフィス街である東京駅前の丸の内地区は再開発です。政府が三菱に払い下げ、軟弱な土地に無数の丸太を打ち込んで地盤を強固に仕上げ、オフィス街として価値を高めました。文字通り、一握りの泥が値千金に転じたのです。
直近の事例として再開発真只中の渋谷はどうでしょうか。東急グループの創業者である五島慶太が戦後、渋谷にデパートや商業施設を建設し、東京駅や新宿駅などに並ぶ交通ターミナルとして育て、今はスクランブル交差点で世界に知られるShibuyaに変貌。現在は100年に1度と言われる大改造計画が進行しており、飲み歩き遊び回った昭和の頃と全く違う街に生まれ変わってしまっています。
丸の内は三菱、渋谷は東急、企業の利益に直結
東京の再開発は、ほとんど価値がない土地を素晴らしい地域に育てあげ、巨利を生み出す手法です。第二次大戦の敗戦で焼け野原から再生した経験もあるので、過去のしがらみは気にならない、あるいは邪魔なのかもしれません。目の前の風景には縛られない。むしろ、真新しい風景の出現は近未来を投射する最先端の街と受け止められるのかもしれません。
その延長線上で神宮外苑前の再開発を考えたら、多少の異論があっても実行すると考えるのが道理です。
神宮外苑地区は1912年(明治45年)の明治天皇崩御後、地区開発の動きが始まりました。その後に関東大震災などによる中断もあって1926年に完成しています。この間、渋沢栄一ら多くの寄付などで神宮外苑は整備され、日本初の風致地区に選ばれる景勝地となりました。地区の歴史はそろそろ100年を迎えます。
三井不動産や東京都の説明をみても、その歴史を尊重しながら新しい街づくりをめざす趣旨を強調しています。これまでの再開発の常識で考えると違和感はありません。でも今回はそう簡単には納得できません。例としてあげた丸の内も渋谷も三菱、東急が開発し、自社の利益に直結する計画を進めているのです。
神宮外苑は企業の利権より公共性が高いはず
ところが、神宮外苑はその歴史を振り返れば、公共性はかなり高い存在です。地権者の明治神宮もさすがに三菱と東急と同列だと主張しないでしょう。あれだけ親しまれ、何世代にも渡って受け継がれている100年間の記憶をかき消してまで再開発する理由は、どうしても見当たりません。
街並みの再生だけを考えたら、欧州の街々と全く対照的です。第二次大戦で街並みが破壊されたポーランドなど東欧、ドイツなどをみても、過去の設計図や残された彫刻などをもとに色合いも含めて全く同じ建物を造り、戦前と同じ風景を再生しています。生まれ育った街の記憶を先祖から子孫へ伝えるため、細部にも拘ります。
欧州は戦争で破壊されても戦前と同じ風景を再生
どうして東京の再開発は自ら破壊するのでしょう。欧州を見習えと言う気持ちは全くありません。しかし、親から自分自身、そして子供と継承されていく家族の記憶は、一緒に生活し楽しんだ地域にも残され、未来への継承が託されています。
街には家族の記憶が継承されている
将来の世代を考え、再開発する。東京の都市再開発に共通する論理です。100年間の記憶の継承を捨て去ってしまったら、何を継承して欲しいのでしょうか。不思議です。