国際会議を取材していると、ふと疑問に囚われます。会議で決まった結論は報道する価値はあるが、本当に実行されるのか。囃し立てて終わるだけか。あるいは「総論賛成、各論反対」「本音と建前」が入り乱れ、決裂するより何かしらの決議がまとまる方がマシ。とにかく第一歩。国際政治は清濁合わせ飲んで前進するのが常識だ。こう納得するのか。国際会議とは「Yes」「No」を使い分け、時には聞こえないフリも当たり前だ、と。
国際会議の伝え方に疑問が湧く時も
役所の文書、とりわけ外交文書は、国それぞれの利害が対立している場合もあって複雑怪奇。合意にたどり着くために、あえてあいまいな表現を選ぶことが多い。合意に至る背景を理解していなければ、合意内容がわからない。国際会議の終了後、担当者の”事後レク”をしっかりと聞かないと的外れな記事になりかねません。
もうひとつ、疑問が湧きます。新聞記者は国際会議の内容をわかりやすく、しかも簡潔に記事化して読者のみなさんにお伝えするのですが、逆に省いてしまう内容もあります。当然、価値判断する天秤にのせて伝えるのですが、それで良いのか。
本旨は理解されているのか
こうした不都合を考慮して、合意内容や記者会見の内容は新聞紙面で全文掲載して公表することがあります。でも、公表したからといって多くの国民に伝わっているのか。最近は役所のホームページに会議の経緯も含めて公表されていますが、それを読み理解できる人がどの程度いるのか。そもそも国際会議にどの程度の関心が集まっているのか。
「今さら何を書いているのだ」と思う人が多いはずです。最近はデジタルジャーナリズムという呼称で、さまざまな文書や動画が拡散し、「ウイキリークス」のように極秘扱いの内部文書まで出回ります。世界の脱税情報を暴いた「パナマ文書」などは世界の多くのジャーナリストが参加して、不正行為を伝えました。安全保障を理由にした人権侵害や富裕層による脱税などが公表されることは、安心して平等な生活を守るためにはとても重要な情報です。
専門家だけが理解して終わり?
ただ、まだ心残りなのは、日常生活に密接した国際会議でありながら、その内容が世間に知られず、専門家だけで討議されて何かが決まっているのに、その議論の過程も含めて伝わっているのか。最近は、注目される国際会議にはいわゆるマスメディア以外に多くの若者らが集まり、討議内容を見つめています。それがネットを通じて広がり、新たな論議を生む源になる。とても大事なことです。透明性の担保が改めて重要であることを教えられます。
長々と口上を綴ったのも、久しぶりに素朴な疑問が浮かんだからです。G7気候・エネルギー・環境大臣会合。議長国である日本は札幌市で開催し、日本やアジアなどの実情を踏まえ、石炭火力発電の廃止時期の明示を求める欧州やカナダをかわす一方、ロシア産天然ガスの供給削減で苦境に合う欧州が求める天然ガスの段階的な使用廃止を決めました。早急な普及をめざす電気自動車や太陽光・風力など再生可能エネルギーの目標設定はあいまいなままで終結。
気候変動を抑制するために喫緊の課題とされていた主要テーマは、「理想と現実」を天秤にかけ、経済の混乱を避けながら実践するという理由で先送りされた感があります。国際政治の象徴でもあるG7関連の会議ですから、エネルギーや気候変動などのテーマ・取り組みについては、これまでも多く指摘されているので、ここでは触れません。
G7環境相会議のコミュニケは92項目も
G7気候・エネルギー・環境大臣会合のコミュニケは92項目で構成され、とても多岐にわたっています。原文は英語です。日本の環境省などが翻訳してホームページで掲載していますが、日本語で読んでも内容を把握できる人がどの程度いるのかちょっと疑問です。環境省も整理整頓し、要旨も掲載、理解の下地作りに努めています。残念ながら、簡潔な要旨のままでは理解が難しく、原文を読めばなおさら訳がわかなくなる悪循環を感じる時もあります。専門家だけが理解しているなんて、なんか気持ち悪い。
そんな個人的な印象を踏み台に、日本の新聞やテレビなどであまり話題になっていないテーマについて綴ることにしました。
G7気候・エネルギー・環境大臣会合のコミュニケはこちらから(日本語訳です)
https://www.env.go.jp/content/000127829.pdf
要旨をまとめた結果概要はこちらから
せっかくですから、一例を。19項目の「包摂」。原文の英語ではinclusion。辞書によると、包含、包括など取り込む意味合いがあります。最近は日本語でインクルージョンと使えば、社会や企業ですべての人々が尊重され、それぞれ個人の能力を発揮して活躍できる状況を作り出し、継続することとなるのでしょうか。欧米を旅行すると、体や心身が自分自身が考えるように動けない、あるいは表現できない人でも不自由を感じずに生活している場面を目にします。日本ではまだ少ない風景です。
例えばインクルージョン
G7気候・エネルギー・環境大臣会合のコミュニケでは第19項目に以下の通りに明記されています。
19. 包摂:我々は、ネット・ゼロで、循環型で、ネイチャー・ポジティブな経済への移行には、労働者や地域社会を含む社会のすべての構成員が関与することを認識し、この移行が誰一人取り残さない、公正かつ包摂的であることを確保するという我々のコミットメントを確認する。我々は、企業や産業、労働者や労働組合、若者やこども、障害者、女性や女児、先住民族、人種的・民族的マイノリティ及び疎外された人々を含む社会のすべての人々が、変革を促進する上で果たす役割の重要性を強調する。また、我々は、2030アジェンダとそのSDGsに沿った環境正義と社会的・経済的持続可能性を達成するためには、市民の強固な関与及び参加が不可欠であることに留意する。したがって、我々は、社会のすべてのセグメントと緊密に協力し、意思決定や指導的役割への積極的な関与、協議、リーダーシップ、意味のある参加を支援することにコミットする。我々は、「クリーンで健康的で持続可能な環境の享受に係る人権」に関する国連総会決議76/300を想起する。
とても重要な意義を強調しており、まさに実践が喫緊の課題です。G7でしっかり把握されていることは大歓迎です。日本で広がるESG、SDGsの流れを念頭におけば、目の前には「実践するしかない」という言葉しかありません。
気候変動の陰に隠れてしまう
しかしながら、カーボンニュートラルなどの気候変動の大きなテーマに隠れてしまった印象で、あまり話題にはなりませんでした。日本政府はどう取り組むのでしょうか。これまでの福祉社会政策がどう広がっていくのでしょうか。環境省や経済産業省が今後、どう政策立案するのか、発信しているのかに注目したいです。